春の山ってたくあんの匂いがする。子どもの頃からずっと思っていたけど、特に理由について調べることはなかった、というか、「山からたくあんの匂いがするのはなんで?」なんてぼんやりとした疑問を解決する方法が当時はわからなかった。大人になって、SNSにこれを投稿すると「ヒサカキではないですか」とコメントをもらった。山へ行って頭上を確認すると、確かにあった。小さなベル状の白い花。神棚にも供えられるヒサカキからこんなにも強烈な匂いがしているなんて思ってもみなかった。
香りは記憶を呼び起こす。ヒサカキの匂いは私の子どもの頃の記憶と結びついている。飼っていた柴犬(兄が拾ってきた。まだ野良犬がいた時代だ)を森に連れて行って、興奮して走って行ってしまったのを追いかけていくと木々の中にぽっかりと空間がひらけていた。スミレが一面に咲く野原を、柔らかく差し込む陽の光に照らされて、うちのタロー(女の子だ。兄が命名した)が笑顔で跳ね回っている。これは現実の記憶だろうか? 夢みたいなその記憶の映像を、今日ヒサカキの匂いを嗅いで急に思い出した。
超売れっ子のお笑い芸人と二人でラジオMCをする仕事があった。ゲストは同世代の詩人。静かに白熱したラジオ収録のあと、いたく詩に感銘を受けたその芸人が、楽屋で小さなスプレーを取り出し、手首に吹きかけて嗅いでいた。
何してるんですか、と問うと、「忘れないようにしてるんです」と答えた。吹きかけたのはオーストラリアで買った香水で、R?VOLUTIONという名前らしい。フランス革命の時の街の匂いを再現したもので、硝煙の香りなどが調合してある。何かに感動したとき、自分の中に”革命“が起きたとき、これを嗅いで、この香りがあればいつでも思い出せるようにしているのだと語った。
先日、ある建築家のおうちで演奏をし、ご飯をご馳走(ちそう)になった。豚肉の煮込みに、タイムというハーブが茎と葉のまま載っていた。いつもなら除けてしまうがその時は茎ごと口に入れて噛(か)んでみた。その瞬間、内モンゴルのことを思い出した。
はたちの頃、馬に乗りに内モンゴルの草原へ行ったときのことだ。草原には野生のハーブが生えていて、馬が駆けるとハーブが踏まれて風が香る。馬の群れの中心で、爽やかな香りの風を受けながら大平原を駆けた記憶が急に蘇(よみがえ)った。
この香りってタイムだったのか、と10年経(た)ってやっと気が付く。草原の記憶を思い出すために、タイムを買おう、と心に決めた。
内モンゴルの馬。筆者撮影かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.13からの転載】